アセットアプローチ

FX投資

外国為替(FX)市場は、世界で最も流動性が高く、巨大な金融市場です。その為替レートがどのように決定されるのかを理解することは、FX投資家にとって極めて重要です。為替レート決定理論は歴史的に進化してきましたが、現代の主流な考え方の一つが「アセットアプローチ(資産アプローチ)」です。

これは、為替レートを単なる貿易取引(モノやサービスのフロー)の決済手段としてだけでなく、異なる通貨建ての金融資産(アセット)の相対価格として捉える考え方です。1970年代初頭の変動相場制移行と国際的な資本移動の活発化を背景に、従来の貿易収支を重視するフローアプローチの限界を補う形で発展してきました。

アセットアプローチは、為替レートが金融市場における資産選択の結果として、非常に迅速に変動しうることを理論的に説明しようと試みます。

このアセットアプローチの基本的な考え方から、その代表的なモデルである「マネタリーアプローチ(伸縮価格モデル、硬直価格モデル)」と「ポートフォリオバランスアプローチ」、そしてFX投資への実践的な示唆、さらにはその限界点までを詳細に解説していきます。

1. アセットアプローチの基本的な考え方

アセットアプローチの根底には、以下のようないくつかの重要な前提と考え方があります。

為替レートは資産価格である: 為替レートは、自国通貨建て資産と外国通貨建て資産の相対的な魅力を反映する価格であるとみなします。投資家は、期待収益率やリスクを考慮して、どの通貨建ての資産(預金、債券など)を保有するかを決定します。為替レートは、これらの資産に対する需要と供給が均衡する水準で決定されます。

資本移動の重要性: 国際的な資本移動が自由に行われ、その規模が貿易取引(経常収支)の規模をはるかに上回る現代においては、為替レートの決定において資本取引(金融収支)が支配的な役割を果たすと考えます。

期待の役割: 資産価格としての為替レートは、将来に対する「期待」に大きく左右されます。将来の金利、インフレ率、経済成長、金融政策などに関する期待が変化すると、現在の資産への需要が変化し、為替レートも即座に変動します。これは、為替レートが時にファンダメンタルズから乖離したかのように見える動きや、高いボラティリティ(変動性)を示す理由の一つとされます。

市場の効率性: 多くのアセットアプローチモデルは、程度の差こそあれ、金融市場がある程度効率的であり、利用可能な情報は速やかに資産価格(為替レートを含む)に織り込まれると考えます。

ストック概念の重視: フローアプローチが一定期間の貿易収支などの「フロー」を重視するのに対し、アセットアプローチは、ある時点における資産の「ストック(残高)」に対する需要と供給の均衡を重視します。

これらの考え方に基づき、アセットアプローチは、為替レートと金利、マネーサプライ、物価水準、期待といったマクロ経済変数との関係性を理論的に説明しようとします。

2. アセットアプローチの主要モデル

アセットアプローチは単一の理論ではなく、いくつかの具体的なモデルを含む包括的な枠組みです。代表的なモデルとして、マネタリーアプローチとポートフォリオバランスアプローチが挙げられます。

2.1. マネタリーアプローチ (Monetary Approach)

マネタリーアプローチは、為替レートが本質的に二国間の相対的な貨幣(マネー)の需要と供給によって決定されると考えるアプローチです。このアプローチの中でも、物価の変動に対する仮定の違いから、主に二つのモデルに分かれます。両モデルともに、長期的には購買力平価(PPP: Purchasing Power Parity)が成立することを前提とすることが多いです。

a) 伸縮価格マネタリーモデル (Flexible-Price Monetary Model / Monetarist Model)

仮定:

物価水準は完全に伸縮的であり、常に購買力平価(PPP)が成立する (P = S × P*)。ここで、Pは国内物価、P*は外国物価、Sは名目為替レート(自国通貨/外国通貨)です。

国内外の貨幣市場は常に均衡している。国内の貨幣市場均衡は M/P = L(Y, i) で表されます。Mは名目マネーサプライ、Pは物価水準、Lは実質貨幣需要関数、Yは実質所得、iは名目金利です。外国についても同様 (M*/P* = L*(Y*, i*))。

資本移動は完全であり、金利裁定(カバーなし金利平価、UIP: Uncovered Interest Parity)が近似的に成立することも想定される場合がありますが、PPPの連続的成立を仮定すれば、金利差は期待インフレ率格差を反映します(相対的PPPとフィッシャー効果)。

メカニズム:

PPPの仮定から、為替レート S は相対的な物価水準 (P/P*) によって決まります。

物価水準 P および P* は、それぞれの国の貨幣市場の均衡条件から決まります (P = M / L(Y, i), P* = M* / L*(Y*, i*))。

したがって、為替レート S は、相対的なマネーサプライ (M/M*)、相対的な実質所得 (Y/Y*)、そして相対的な名目金利 (i/i*) によって決定されることになります。
S = (M/M*) × [L*(Y*, i*) / L(Y, i)]

含意:

国内のマネーサプライ(M)が増加すると、国内物価(P)が上昇し、PPPを通じて為替レート(S)は上昇(自国通貨安)します。

国内の実質所得(Y)が増加すると、貨幣需要(L)が増加し、物価(P)は下落するため、為替レート(S)は下落(自国通貨高)します。

国内の名目金利(i)が上昇すると、貨幣需要(L)が減少し、物価(P)は上昇するため、為替レート(S)は上昇(自国通貨安)します。(※これは、金利上昇が期待インフレ率の上昇を反映しているという前提に依存します。UIPを重視する場合は解釈が異なります。)

評価:

長所: シンプルで直観的であり、マネーサプライと為替レートの長期的な関係を捉えようとしています。ハイパーインフレーション時の為替レート変動などを説明する力があります。

短所: 購買力平価(PPP)や物価の完全伸縮性という仮定は、特に短期においては現実的ではありません。短期的な為替レートの大きな変動や、PPPからの乖離を説明できません。

b) 硬直価格マネタリーモデル (Sticky-Price Monetary Model / Dornbusch Overshooting Model)

仮定:

財・サービス市場の物価水準は短期的には硬直的(ゆっくりとしか調整されない)ですが、長期的には伸縮的です。

金融市場(為替市場を含む)の価格(為替レートや金利)は瞬時に調整されます。

資本移動は完全であり、カバーなし金利平価 (UIP) が成立する (i = i* + ΔSe/S)。ΔSe/S は期待為替レート変化率です。

投資家は合理的な期待を形成します。

メカニズム(オーバーシューティング): このモデルの最も重要な貢献は、為替レートの「オーバーシューティング」現象を説明したことです。

例えば、中央銀行が予期せず名目マネーサプライ(M)を恒久的に増加させたとします。

貨幣市場では、実質残高(M/P)が増加するため、金利(i)は即座に低下します。

資本移動が完全でUIPが成立するため、国内金利(i)が外国金利(i*)を下回ると、投資家が国内資産を保有し続けるためには、将来的に自国通貨が増価する(ΔSe/S < 0)と期待される必要があります。

しかし、長期的にはマネーサプライ増加により物価(P)が上昇し、PPPに従って為替レート(S)も上昇(自国通貨安)するはずです。

将来の自国通貨「高」期待と、長期的な自国通貨「安」の整合性をとるためには、現在の為替レート(S)が、その新しい長期均衡水準を「超えて」大幅に上昇(自国通貨安)する必要があります。これがオーバーシューティングです。

その後、物価(P)がゆっくりと上昇し始めると、実質残高(M/P)が減少し、金利(i)が徐々に上昇(元の水準には戻らないが、初期の低下幅よりは上がる)。同時に、物価上昇に伴い、為替レート(S)はオーバーシュートした水準から、新しい長期均衡水準に向かって徐々に下落(自国通貨高)していきます。この下落プロセスが、当初の金利低下時に必要とされた「将来の自国通貨高期待」を実現させます。

含意:

金融政策の変更などに対して、為替レートは短期的にはその長期的な調整幅を超えて大きく変動(オーバーシュート)する可能性があります。

物価の硬直性と資産市場の価格伸縮性の違いが、為替レートの短期的なボラティリティを生み出す主因となります。

金利(特に実質金利)と為替レートの間に、短期的に明確な負の関係が存在しうることを示します(金利低下→為替レート急騰(自国通貨安))。

評価:

長所: 短期的な為替レートの大きな変動や、ファンダメンタルズからの乖離(に見える動き)を理論的に説明することに成功しました。変動相場制下の為替レートダイナミクスを理解する上で画期的なモデルとされています。

短所: 合理的期待やUIPの成立といった仮定には議論があります(特にUIPは実証的に支持されないことが多い)。オーバーシューティングの程度や期間を正確に予測することは困難です。

2.2. ポートフォリオバランスアプローチ (Portfolio Balance Approach)

ポートフォリオバランスアプローチは、マネタリーアプローチの仮定(特に国内外の債券が完全代替的であるという暗黙の仮定)を緩和し、投資家がリスクを考慮して、複数の不完全代替的な資産(自国通貨建て債券、外国通貨建て債券、貨幣など)の間でポートフォリオを最適化する過程で為替レートが決定されると考えます。

仮定:

国内資産(例:国内債券)と外国資産(例:外国債券)は不完全代替的です。これは、為替リスクが存在するため、投資家が両者を完全に同じものとは見なさないことを意味します。

投資家はリスク回避的であり、期待収益率だけでなくリスクも考慮してポートフォリオを選択します。

その結果、カバーなし金利平価(UIP)は必ずしも成立せず、為替リスクプレミアムが存在しえます (i ≈ i* + ΔSe/S + RP)。RPはリスクプレミアムです。

資産のストックの需給均衡を重視します。特に、国全体の対外純資産(Net Foreign Assets, NFA)の変動(=経常収支)が重要な役割を果たします。

メカニズム:

投資家は、自国通貨建て資産、外国通貨建て資産、自国貨幣などの相対的な期待収益率とリスクを評価し、資産ポートフォリオを組みます。

為替レートは、これらの異なる通貨建て資産の既存ストックに対する需要と供給が一致するように調整されます。

例えば、政府が財政赤字をファイナンスするために国内債券を大量に発行すると、国内債券の供給が増加します。投資家がこれをポートフォリオに組み入れるためには、国内債券の相対的な魅力が高まる(例えば、リスクプレミアムが上昇して期待収益率が上がるか、あるいは為替レートが調整される)必要があります。もし国内債券のリスクが高まると認識されれば、それを補うために自国通貨が(期待収益率を高める方向に)減価する可能性があります。

また、経常収支の黒字は、その国の対外純資産(NFA)の増加を意味します。これにより、国民が保有する外国資産が増加するため、ポートフォリオのリバランスが生じ、為替レートに影響を与える可能性があります(例:自国通貨高圧力)。逆に経常収支赤字はNFAの減少を意味し、自国通貨安圧力となる可能性があります。

含意:

為替レートは、マネーサプライだけでなく、債券市場の需給(政府債務残高など)、対外純資産(経常収支の累積)、そしてリスクプレミアムにも影響されます。

リスクプレミアムは、相対的な政府債務残高、経済の不確実性、為替レートのボラティリティ期待などによって変動し、為替レートに影響を与えます。

財政政策(政府支出や課税)も、国債発行量や投資家の期待を通じて為替レートに影響を与えうることが示唆されます。

中央銀行による不胎化介入(為替介入の影響をマネーサプライの変化で相殺する介入)が、資産の相対的な供給量(例えば、国内債と外貨準備)を変化させることで、為替レートに影響を与える可能性を理論的に説明できます(マネタリーアプローチでは、不胎化介入は効果がないとされることが多い)。

評価:

長所: 資産の不完全代替性やリスクプレミアムを導入することで、より現実的な資産選択行動をモデル化しています。経常収支や財政政策と為替レートの関係を捉えることができます。不胎化介入の効果を説明できます。

短所: モデルが複雑になりがちで、リスクプレミアムや資産需要関数を特定・計測することが困難です。そのため、実証的な分析や予測が難しいという側面があります。

3. アセットアプローチのFX投資への実践的示唆

アセットアプローチは、短期的な為替レートの正確な予測ツールとしては限界があるものの、FX投資家にとって以下のような重要な示唆を与えます。

ファンダメンタルズ分析の基礎: アセットアプローチは、為替レートが中長期的にどのような要因(金利、インフレ、成長、マネーサプライ、財政状況、経常収支、リスク選好など)によって動くのかを理解するための理論的枠組みを提供します。FX投資家は、これらのファンダメンタルズ要因の変化を監視し、その為替レートへの影響を考察する必要があります。

金利差の重要性(ただし注意が必要): 各モデルは金利(名目または実質)が為替レートに影響を与えることを示唆しています。これは、金利差を狙った「キャリートレード」の理論的根拠の一部となります。しかし、UIPが常に成立するわけではなく、リスクプレミアムが変動すること、期待が織り込まれることなどを考慮する必要があります。高金利通貨が必ずしも上昇するとは限りません。

金融政策・財政政策への注目: 中央銀行の金融政策(金利変更、量的緩和/引き締めなど)や政府の財政政策(歳出拡大、増税、国債発行など)は、金利、マネーサプライ、期待、リスクプレミアム、債券需給などを通じて為替レートに大きな影響を与えうるため、これらの動向を注視することが重要です。

「期待」と「ニュース」のインパクト: 為替レートは将来への期待を織り込んで動くため、経済指標の発表、要人発言、地政学的イベントなど、「ニュース」に対する市場の反応(期待の変化)が、為替レートの急変動を引き起こすことがあります。予期せぬニュースほど影響は大きくなります(オーバーシューティングの含意)。

中長期的な視点の必要性: アセットアプローチが示すファンダメンタルズ要因が為替レートに反映されるまでには時間がかかることがあります。短期的なノイズに惑わされず、中長期的なトレンドを捉える視点を持つことが有効な場合があります。

リスク管理の重要性: ポートフォリオバランスアプローチが示唆するように、為替リスクは存在し、リスクプレミアムは変動します。為替レートは予期せぬ要因で大きく変動する可能性があるため、適切なリスク管理(損切り設定、ポジションサイズの調整など)が不可欠です。

モデルの限界を認識する: どのモデルも現実を完全に説明できるわけではありません。特に短期的な予測力には限界があります(Meese-Rogoff Puzzle)。アセットアプローチを唯一の判断基準とするのではなく、テクニカル分析や市場センチメント、他のアプローチと組み合わせて総合的に判断することが現実的です。

4. アセットアプローチの長所と短所(まとめ)

長所:

変動相場制下のボラティリティを説明: 1970年代以降の為替レートの高い変動性を、期待の変化や資産市場の迅速な調整を通じて理論的に説明するのに貢献しました。

資本移動の役割を重視: グローバル化した現代経済における、大規模な資本移動の為替レートへの影響を捉えています。

期待の重要性を強調: 資産価格としての為替レートにおいて、将来に対する期待が決定的な役割を果たすことを明らかにしました。

マクロ経済変数との連携: 金利、マネーサプライ、インフレ、成長、財政など、主要なマクロ経済ファンダメンタルズと為替レートを結びつける理論的枠組みを提供します。

金融政策・財政政策の含意: 各政策が為替レートに与える影響経路を分析するための基礎となります。

短所・限界:

短期的な予測力の低さ: 実証研究では、アセットアプローチに基づくモデルが、単純なランダムウォークモデルよりも短期的な為替レート予測で優れているとは言えない、という結果が多く報告されています(”Exchange Rate Disconnect Puzzle”)。

強い仮定への依存: 各モデルは、PPP、UIP、合理的期待、物価の伸縮性/硬直性など、現実には必ずしも満たされない強い仮定に依存しています。

測定困難な変数: 期待、リスクプレミアム、資産需要関数などを正確に測定することは非常に困難であり、モデルの実証的な検証や応用を難しくしています。

非ファンダメンタルズ要因の軽視: 市場参加者の心理(アニマルスピリット)、群集行動、テクニカル要因、市場のミクロ構造(オーダーフローなど)といった、必ずしもマクロ経済ファンダメンタルズに基づかない要因の影響を十分に捉えきれていない可能性があります。

モデル間の不整合: 伸縮価格モデルと硬直価格モデルでは、例えば金利上昇の為替レートへの影響の解釈が異なるなど、モデル間で結論が異なる場合があります。

結論

アセットアプローチは、現代のFX市場を理解する上で不可欠な理論的枠組みです。為替レートを金融資産の相対価格として捉え、資本移動、期待、マクロ経済ファンダメンタルズの役割を強調することで、変動相場制下の為替レートダイナミクスに関する我々の理解を大きく深めました。特に、ドルンブッシュのオーバーシューティングモデルは、短期的な為替レートのボラティリティを説明する上で画期的な貢献をしました。

しかしながら、アセットアプローチに基づく各モデルは、その予測力、特に短期的な予測力には限界があることも実証的に示されています。これは、モデルの仮定の非現実性や、期待やリスクプレミアムといった測定困難な変数の存在、そして現実の市場における非ファンダメンタルズ要因の影響などが理由として考えられます。

したがって、FX投資家にとってアセットアプローチは、万能の予測ツールではありません。しかし、為替レートが中長期的にどのような経済的要因によって動かされうるのか、金融政策や財政政策がどのような経路で影響を与えうるのか、そして「期待」がいかに重要か、といった**市場を理解するための基本的なレンズ(視点)**として非常に有用です。実践的な投資判断においては、アセットアプローチによるファンダメンタルズ分析を基礎としつつも、その限界を認識し、テクニカル分析、市場センチメント、リスク管理などを組み合わせた、多角的かつ柔軟なアプローチが求められると言えるでしょう。

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